マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドの店に
10代後半は退学処分になるほどの不良になり、ブティック「Sex」に頻繁に通うようになる。
小学生時代とは打って変わり、中学生からのライドンは退学処分されるほどの不良となり、10代後半はマルコム・マクラーレン(デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが共同経営者)のブティック「Sex」に頻繁に出入りするようになる。この店を溜まり場としていたライドンをリーダー格とする不良グループ“ジョンズ”は、メンバー全員の名がjohnであることから名づけられた。
セックス・ピストルズ結成
溜まり場になっていたブティック「Sex」でのオーディションで、ジョン・ライドンがアリスクーパーの曲を歌い、セックス・ピストルズ結成。
1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズやポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「エイティーン」を歌った。そしてバンドへ加入、バンド名はセックス・ピストルズに決まる。ピストルズは「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」などの歴史的な曲を発表し、パンクの有名バンドとなった。曲は主に、メンバーのグレン・マトロックが書いていた。
ジョニー・ロットン「ロックは死んだ」
シド・ヴィシャスのヘロイン中毒が原因で、ライドンはピストルズ脱退。ラストライブの最後に「騙された気分はどうだい」と言い放っている。脱退表明時には「ロックは死んだ」と宣言した。
ピストルズの後期、ライドンは、ヘロイン中毒である親友のシド・ヴィシャスの薬物治療の手助けをするが、結局シド・ヴィシャスはヘロインをやめられずまともに演奏できる状態ではなくなった。メンバー間の不仲も頂点に達し、バンドは最悪の状態になり、1978年1月14日、アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に「騙された気分はどうだい」と言い放っている。脱退表明時には「ロックは死んだ」と宣言した。後に、シド・ヴィシャスと恋人のナンシーは死亡している。