忌野清志郎の名言
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て、耳で聞いたものの、中にしかないはずだ
忌野清志郎
トランジスタ・ラジオは実体験
聴いていると風景が思い浮かぶ、名曲のトランジスタ・ラジオは、清志郎の実体験から生まれた曲だった。
高校時代は学校に馴染めず、かと言って不良でもなく、物静かな少年だった。あと何日休んだら単位が落ちるかを計算して、サボれるだけサボッていた。「トランジスタ・ラジオ」の中に授業をサボッて屋上でタバコを吸っているという歌詞があるが、これは清志郎の実体験である
抗議の電話が殺到
1982年のテレビ生放送で悪ふざけしまくり、テレビ局への抗議の電話が500件近くあった。
1982年6月14日、生放送番組「夜のヒットスタジオ」(第709回)にRCサクセションとして出演した際、曲の最中暴れまわったり、司会者とのトーク時より噛み続けていたガムをテレビカメラに向かって吐きかけるなどの悪ふざけをし、さらにそのことで視聴者へ謝罪する司会者の後ろで舌を出したり顔をしかめるなどしたことから、テレビ局に抗議の電話が殺到。その数は500件近くに上ると言われている。
清志郎の勘違い
ネットやテレビなど情報が多様化した現代では、考えられないような勘違い。情報化社会が進んでるのがわかりやすいエピソード。
右利きであるにもかかわらず左手でハンドマイクを握るようになったのは、まだオーティス・レディングをレコードで聴いたことしかなかったころ、数少ないステージ写真で「オーティスが左手でマイクを握っていた」のがきっかけだったが、のちにかつて見ていた写真が実は裏焼きされたものだったことを知り愕然としたという。
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